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Dyskoloi apohairetismoi: O babas mou
     パパにさよならできるまで

ギリシゃ映画 (2002)

10才のヨルゴス・カラヤニス(Yorgos Karayannis)が主演し、2002年のロカルノ国際映画祭で史上最年少の主演男優賞を与えられたことが話題となった映画。しかし、この評価は完全に間違っている。子役の演技をずっと見てきた経験からして、過剰な演技、下手な台詞、感情表現の不自然さなど、ヨルゴス・カラヤニスには、すべての面でがっかりさせられる。それに、映画そのものも、観ていて不愉快な気分にさせる。この作品で長編映画デビューを果たした監督は、人間心理を理解していないのではないか? その結果、①主人公のエリアス少年の現実性を全く欠いた言動(ほぼ全編)、②母親のこれまた常軌を逸した態度(一部だが)がストーリーを蝕み、登場人物に対する同情も、好奇心も剥奪してしまう。

時代は1969年、場所はアテネ、登場する家族は、家電製品の行商を行うため不在がちな父、不在であるが故に不満をつのらせている母、母寄りの兄と、父にべったりの弟エリアス。それに加え、父の兄と母(エリアスの伯父と祖母)の計6人である。エリアスは父が大好きで、父もエリアスが大好き。その父が、アポロの月面着陸の日には必ず戻ると置手紙をして行商に出かけ、自動車事故で帰らぬ人となる。父が死んだという事実を絶対に受け入れようとしないエリアス。その設定はよくあることで理解できるのだが、それが映画の最後まで延々1時間半、手を変え品を変え飽きもせず続く。その脚本の貧困さ。あるいは、あくどさ。最後の最後、アポロ着陸の夜、祖母に向けて父の死を告げる手紙を書いたところで映画はやっと終わってくれる。

ヨルゴス・カラヤニスは、監督の言うがままに演技しているだけなので、彼に責任は一切ないのだが、それにしても、演技が上手とは、とても言えない。ただし、普通ならこんなひどいことは書かない。ロカルノ国際映画祭の主演男優賞だから、辛口に書いているのだが、実は受賞したこと自体にも、彼には責任はない。選定者が無能で無責任だっただけだから。最近見たトルコ映画『シーヴァス』でも、映画初体験で主演の11才の少年が、2つの映画祭で最優秀演技賞、最優秀男優賞を授与されている。映画のパンフレットによると、監督は「1つ1つの演技を細かく指示しました。撮影中は、いつも私が彼の傍にいて、指示を出しました。… すべての動きについて指示しました。だから、彼は脚本を見ていない。私が全部その場で伝えました。いわば私が彼の脚本です。彼はロボットみたいですね。私が『右手を上げろ』と言えば右手を上げる。全て指示通りに動くロボットです。『さあ、怒って』と言えば怒る」と語っている。これを演技と言えるのだろうか? そして、賞に値するものなのだろうか?


あらすじ

エリアスの父は、行商でいつも不在。たまに帰ってくると、寝ている間に、ベッドの足元に青い包み紙のチョコレートを置いてくれる。その日の朝も、目を覚ますと、チョコレートがあった! 父が帰ってきたのだ。エリアスがベッドの下から箱を取り出すと、中に、お土産のチョコレートで一杯だ。一番上に、新しいチョコレートを置いて箱を閉じる。兄からは、「ゴキブリが寄ってくるぞ」と警告。少なくとも、下の方の古いチョコレートは、暑いギリシャなので、変質しているかもしれない。エリアスは部屋を飛び出していき、父を見つけて抱きつく。甘えん坊なのだ。
  
  

父が帰宅した翌日の朝食。夫が長く家を空けることに対し、不満を鬱積させた妻。折角帰宅したというのに、朝から機嫌が悪い。料理の手順が狂って牛乳が吹きこぼれてしまうが、拭こうとしても雑巾がみつからない。「何、見てるのよ? 探してよ」とつっけんどんに夫に要求する。「目の前にあるじゃないか」と指摘され、「なら拭いてよ」と雑巾を投げつける。夫は、従順に席を立ち、こぼれた牛乳を拭く。そして、「2-3日くらい、我慢できんのか?」と訊く。それを聞いて、さっと席を外す兄。「長男も、会う度に敵意をむき出しだ」と付け加える父。「寂しいのよ」と答える母。しかし、この女性、家族のために真面目に仕事をしている夫に対し、あり得ないほど冷たい態度だ。一人エリアスだけが、「ねえ、パパ、行こうよ」と誘う。当然、父もエリアスびいきになる。自分の営業用の青い車に乗せてやり、空き地に行って乗り回しながら、2人で叫び合う。「今、どこに行きたい?」。「パパが決めて」。「小さな海辺の村がいい」。「旅行で?」。「違う。海辺に素敵な木の小屋を買って、みんなで一緒に住む」。「ママも?」。「ママもだ」。「伯父さんも?」。「伯父さんもだ。一人住まいじゃ可哀想だろ。それから、小さな店も開く」。「どんな店?」。「いろんな いい品を売るんだ。他では売ってないような珍しいものも」。これが父の夢だ。その夜、エリアスと一緒にベッドに入り、ジュール・ベルヌの『月世界旅行』の話をしてやった後、アポロ計画の月面着陸の話になる。
  
  

次の日の朝、父が剃刀で髭を剃っている。「なぜ、ヒゲ そってるの?」。「出かける前に 髭を剃る」。つまり、帰ってまだ間がないのに、また父は出かけようとしているのだ。その日、父は、エリアスを祖母に会わせるため、伯父の家に連れて行く。かなりボケた祖母の世話を、離婚した兄が一人でしているのだ。弟であるエリアスの父は、仕事柄、家を空けているので祖母を引き取れないし、祖母は父の妻を大嫌いときている。祖母の部屋にこっそり忍び込むエリアス。ベッドの下には、伯父が持ってきた食事が、溜め込んである。そして、枕の下には、父の書いた絵葉書が隠してある。「大好きな母さん。片時も忘れたことはありません」で始まり、「テオドシウス〔兄〕によろしく。薬を飲み忘れないで。息子のクリストスより」。ありきたりだが、筆まめ的な内容だ。その後、伯父が持ってきた手作りの夕食に、エリアスと父も付き合うことになる。一方、自宅では、帰りの遅い2人に、母と兄は夕食を前にしてイライラ。兄が、無理に母に食べさせようとすると、冷めている。真心のこもった食事とは言い難い。これでは、父が、伯父と祖母との食事を選ぶハズだ。エリアスは、父に、「なぜ、お祖母ちゃんに絵葉書書いてるの?」と訊く。「僕たちが分からないくらいボケてるのに」。父の返事は、「手紙を出すのが好きなんだ。手紙を書いてると、昔のお祖母ちゃんが思い出されてな。まあ、自分のために書いてるのかもしれん」。
  
  
  

その日の夜、父と母が言い争いをしている時、エリアスは、父の旅行カバンから髭剃りセットを抜き出す。これがなければ、父は出張に行かないだろうと確信して。そして、見つからないよう、翌日学校に持っていく。髭剃りセットを見た級友から、「僕のパパも同じも持ってる」と言われ、「そうか、でもこれは僕のさ。新品を買ったから、僕にくれたんだ」と、ついつい余分なことを言ってしまう。結果、他の生徒からも冷やかされ、結局先生に見つかって叱られる。しかし、この作戦は結局失敗する。家に帰ると、父はもう出発した後だった。
  

ベッドの上で、何気なく本を見ていて、父からのメモに気付いたエリアス。そこには、「しばらく仕事で出かけるが、月面着陸までには戻る。パパは、いつだって約束は守るだろ。次は、お前も連れていくよ」と書いてあった。それで安心するエリアス。兄に、「パパが、すぐ家を出てくのは、ママのせいだ」と話しかける。母が好きな兄は、「ママのせいじゃない。何も知らないくせに。出かける前に、キスしてたのまで知ってるんだぞ」。実際、2人はセックスしてから別れたのだ。その時、電話がかかってくる。寝ている母に代わり電話を取る兄。部屋に戻ってきた兄は、呆然として一言。「パパが、いった」。「そんなこと、分かってるよ」。「永久に いったんだ」。「永久じゃないよ。帰ってくるもん」。「自動車事故だ。二度と戻らない」。「メモがあって、そこにはっきり書いてあった。信じないんなら、見たらいい!」。「事故の前に書いたんだ。俺も もらってる」。「ウソだ! もしあるんなら、見せて!」。「持ってない」。「ウソつき! 何も書いてくれなかったから、ねたんで、僕をイジめるんだ」。「捨てたんだ! 『父さんは死んだ』って言ったんだ。死んだんだぞ」。母が騒ぎで起きてきて、兄から事情を訊く。エリアスは、トイレに閉じ籠もり、話が聞こえないよう数字を口ずさみながら泣く。可哀想なシーンに見える。しかし、ここから疑問が芽生える。泣いたということは、父の死を自覚したことを意味する。遠くに行ってしまっても、月面着陸の日に戻ってくるなら、泣く必要はない。ここから、脚本の迷走が始まる。
  
  
  

母は、トイレで泣き寝入ったエリアスをベッドまで運んでいき、「信じたくないでしょうけど、本当なの。パパは死んだのよ。永久にいなくなって、二度と戻らないの…」と声をかけて、出て行く。しかし、その後、パッチリと目を開けたエリアスは、父の残したメモを口ずさむ。このことは、父が死んだことは認めるが、何らかの奇跡が起こり、月面着陸の日には父が現れる、と自分に言い聞かせているのだろうか? 観ていても分からない。何度も書くが、死んだことを本気で否定するなら、泣くはずはないのだから。そして、翌朝、エリアスは、キッチンにいる母の前で、冷蔵庫からスイカを取り出すと床にわずと落とし、牛乳を始めいろいろなものを床にぶちまける。この行為は何を意味するのか? 父が死んだことへの怒りとしか思えない。それを、母の前でしたということは、父の死に対する責任の一端が母にあると思っていたからとしか、説明がつかない。
  
  

葬儀の日、兄から喪章を付けるように言われ、「付けたくない」とエリアス。「40日、付けなきゃいけない」。「みっともない。笑われちゃうよ」。「誰も 笑ったりしない。それに、授業中も立たされない」。「本当?」。「騒いでも叱られないしな。保証する」。それには感心したものの、葬儀には父からもらったチョコレートを持って出かけ、墓地の目の前まで来て逃げ出す。そして、墓地の塀際に座って、チョコレートをかじりながら、空想上の誰かと独り言で会話。この辺り、エリアスの心の痛みを強調したいばかりに脚本が破綻覚悟で独走している。父の死を認識しているのに、埋葬への参加拒否は単にワザとらしいだけだし、独り言は、話している内容を含め、意味不明。ところで、黒い喪章を付けて登校したエリアス。友達から、「先生が、お前のパパ、死んだって話したぞ」と言われ、「死んでない」。「じゃあ、なぜ、腕に黒い帯 付けてるんだ?」。「計略さ。これを付けてると、授業中に立たされないし、騒いでも叱られない」。そして、「今だって、内緒話してるのに、何も言われないだろ」。その時、「3列目までの子は黒板に出て」と先生の声。しかし、「マノロプロスはやらなくていい」。喪章を指差して、ほらみただろ、と自慢げなエリアス。
  
  

伯父が、事故に遭った父の自動車に積んであった電気製品をエリアスの家に持ってきた。しばらく預かってくれと言う。断固拒否する母。伯父は、弟が死んだことを祖母に内緒にしてあるので、自分の家には持ち帰れないと言う。そして、祖母がボケてない証拠に、今日、「あの子はどこだい? なんで手紙を寄こさないんだい」と、訊かれたと打ち明ける。それを、帰宅したエリアスが小耳に挟み、「洗濯室に持って上がったら」と対案を出す。そして、運び上げた箱の上で、父に代って手紙 を書き始める。「大好きな母さん。これまで、あまりお会いできませんでしたが、これからは、全く会えなくなりました。愛してないからではありません。ちゃんと説明しましょう。実は引っ越したんです。子供たちと一緒に、ある島の砂の浜辺の小さな家に。こげ茶色をした太い丸太で造った木の家です…」。長文の手紙で、10才の子供が書けるような内容ではない。そもそも、ここでも、「全く会えなくなりました」とあるので、父の死が前提となっている。これほど用意周到な捏造ができる子が、月面着陸の日の再会を信じ続けるのは、どうみても不自然だ。さて、少し後の場面で、前後が狂うが、祖母がこの手紙を受け取るシーンがある。「手紙が来たよ」。「誰から?」。「誰からってどういう意味だい? 弟に決まってるだろ」。この老婆、ひどくボケているのか、それほどでもないのか、よく分からない。
  
  

夫に対して異常な冷淡さしか示してこなかった妻が、亡き夫の服に顔をつけて、涙を流すシーン。ある意味ではホッとする。翌日、一番ドライな長男が、「片付けるの手伝うよ」と言って父の服に手を伸ばすと、「まだ、触らないでちょうだい」と強く牽制する。そして、「立ち直るまで、時間をちょうだい」とも。一方のエリアス、父のコートを持ち出して、洗濯室に “父との想い出の部屋” を作り上げる。そして、手紙を書いている最中に母が寄ってくると、邪魔者扱いするところは以前と同じ。「降りてらっしゃい。本を読んであげる」と言っても、「ママの声が好きじゃないんだ」「すごく かん高くて、女の子みたい」。エリアスが何か書いていたので、「書いたのを 読んでくれない?」と頼んでも、最後は紙を口に入れて絶対に見せない。
  
  

ある日、エリアスが学校から帰ってくると、父の車の前に、兄、伯父さん、知らない人がいる。急いで駆け寄って、兄に「どうなってるの?」と訊く。まともな返事がもらえないので、「パパの車をどうするの」と伯父に尋ねる。「この人に買ってもらおうとしてる」との返事に、「パパの車だ。帰ってきたら、みんな監獄にブチ込まれるから」と言って食ってかかる。父の死を認識していないようなエリアスに困惑する母。その夜、エリアスは、父のコートをはおり、車の中で寝る。息子がベッドにいないので、探しに行った母が、洗濯室で “父の手紙” を見つけ激怒。夜中にもかかわらず伯父を家に呼びつける。
  
  

翌日、伯父に連れられてエリアスが祖母に会っている間に、母は、 “父との想い出の部屋” に置いてあったものすべて、箱に入ったチョコレートを含め、すべてを外に放り出す。夜、帰宅したエリアスは、雷雨の中で、それを見て立ち尽くす。そして、翌日、チョコレートを学校に持っていってクラスの全員に配る。「パパのお土産だ。旅行から帰ってきた」。「こんなにたくさん?」。「昨日は、僕の誕生日だった」と言うが、「かび臭いぞ」と指摘され、言った相手を何度も何度も殴る。
  
  
  

伯父は、一家を自分の海の家に招待する。エリアスは、父のメモを大切に本に挟むと、父が帰って来た時のために、「僕たちは、伯父さんの家に行きます。僕は、パパを待っていたかったから、行きたくなかったけど、みんなが行くので、あっちで待ってます。下の息子より」と、メモを残す。乗っていくのは、色を白く塗り替えた父の車。結局、売るのはあきらめたのだ。
  
  

途中で父の眠る墓地に寄る。夫の墓の前で泣く母。それに無関心なエリアス。海辺の家に着いた一家。そこで、エリアスの独白が入る。「目を閉じて海を感じる。砂浜に打ち寄せる波が僕の足をくすぐる。目を開けて星を見上げる。流れ星が見えたので願いをかける…」。海にも入らず、昼間なのに、10才の子が書いたとは思えない内容の独白。あざとい脚本だ。だから、何の感動も生まない。翌日、伯父は帰る前にエリアス用にテントを作ってやる。そして車で帰る。遂にやってきた月面着陸の日、エリアスはテレビも見ずに、一人テントに籠る。アームストロング船長の有名な言葉が聞こえるが、父は現われない。持ってきた髭剃りセットで、父の真似をして顔に泡を塗りつけるエリアス。脚本は、ここでもエリアスに独り言を言わせる。そこに母がやってくる。エリアスは、母に『月世界旅行』の最後の部分を読んでくれと頼む。読み終わってから、「ちゃんと寝るのよ」と、母がテントの外から、中のエリアスの影の鼻先に指をやるところだけは、映像的に美しい。
  
  

その夜、夢の中で、エリアスは父と話し、明くる日、祖母に自分の名前で手紙を書いた。「おばあちゃん。昨日、月面着陸を観ながら、パパが死にました。あんな幸せそうな人は見たことがありません。エリアスより」。
  

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